1948-05-24 第2回国会 参議院 治安及び地方制度委員会 第16号
それについては五月五日、神戸の市丸檢事正が自由法曹團を代表した布施辰治君に對してこう言つております。この調査には速記係が附いておつて、皆詳しく載つておるのでありますが、今朝の新聞では何か解決したようだ。なぜあれを早くこの事件の起る前にやらなかつたかということですが、こういうことは政府に責任がある。局部的に僕らの責任ではない。國の無責任は以ての外だと、こう檢事正は述べておるのであります。
それについては五月五日、神戸の市丸檢事正が自由法曹團を代表した布施辰治君に對してこう言つております。この調査には速記係が附いておつて、皆詳しく載つておるのでありますが、今朝の新聞では何か解決したようだ。なぜあれを早くこの事件の起る前にやらなかつたかということですが、こういうことは政府に責任がある。局部的に僕らの責任ではない。國の無責任は以ての外だと、こう檢事正は述べておるのであります。
ところが、この二十四日の事件が起きて、市丸檢事正も知事を市長等と一諸に監禁をされたんであります。そこでまあ暴行脅迫によりまして、先ず知事が閉鎖命令の取消をし、それから市長が學校明渡しの、校舎明渡しの取消をし、ついで檢事正が迫まられまして釋放をするという誓書、一書を取られたのであります。
縣廳側では岸田知事、吉川副知事、井出國家警察長、その他市側では神戸市長、助役、神戸市警察局長、公安委員長、その他渉外局側といたしましては田中渉外局長、檢察廳側としては市丸檢事正、田邊次席檢事、兵庫縣における各関係首脳部が全部寄つたのであります。
四月二十四日正午ごろより、兵庫縣廳内に四、五百名の暴漢が押し寄せ、ために知事室におきまする岸田知事、市丸檢事正、古山警察局長等重要なる地位の者合わせて十四名、縣廳外の自由地域との通信、交通を遮断せられてしまいまして、しかも相当な時間をここに看過したる結果、この十四名がいわゆる監禁状態におかれたということは、まつたくこの間において警察官の心の武裝が欠如していた証拠であると確信するものであります。
そこでこれは何とかしなければならぬ、その対策を協議しなければならぬということになりまして、翌四月二十四日午前九時半から兵庫縣廳三階西南隅の知事室に、岸田知事、吉川副知事以下縣廳側から数名、それから小寺市長、警察長その他数名、それから渉外連絡局長市丸檢事正、次席檢事というような人合計十六名が集まつて、この仮処分をさらに強行的にやるべきであるか、しばらく延期すべきであるかというような問題と、さらに二十六日
尚執行が不能に終りましたので、今後の対策をどうしようかということで、四月二十四日午前九時半から縣廳の三階西南隅の知事室において、岸田兵庫縣知事、吉川副知事、井手國家警察の警察長、三宅警備部長、堀教育部長、中田視学、小寺市長、関助役、古山市警察局長、安田秘書課長、小山保安部長、村上警備課長、田村公安委員、田中渉外局の事務局長、それから檢察廳から市丸檢事正、田辺次席檢事、この十六名が集まりまして、この仮処分